原発を考える 第1回 2011年11月5日 福島からの報告―真木實彦


原発事故・福島からの報告 ―東久留米九条の会 学習会の内容―

福島大学名誉教授 真木實彦先生

東久留米九条の会からカンパをいただきました。放射能の食べ物の計測器を、ある福祉施設でがんばって買うことになり、カンパもそれに加えさせていただきました。お礼申し上げます。

私は東京で大学院を出て、就職で福島へ行き、それから50年たちました。専門は世界経済論ですが最近は原発問題に狂奔せざるを得なくなりました。そこで見聞したことをいくつかご報告させていただきます。

福島は見捨てられた?

福島は浜通り、中通りと会津に分かれていて西のほうなら三つの県に分かれていたと思います。相馬はひとつの藩、中通は細かく分かれていて会津は大藩です。原発は浜通りの太平洋岸ですがある意味の過疎地です。原発に頼らざるを得ないという選択をして半世紀、原発交付金をもらっています。

私のいるところは中通りで、最初は情報が入らない。地震、津波、原発事故などがテレビでしか分かりません。九条の会の人達がどうなったか、まず気になってあちこち電話しました。原発に近いところの人達は重いというか孤立感を感じていたようです。それが3、4ケ月たつと、福島のほうもそういう状況に巻き込まれているんですね。山形とか秋田とか周辺に行って話をしてもちょっと受け止めが違うと感じるんです。孤立感というのは「見放された」という感じがあるんです。南相馬というところは原発から3〜40キロのところです。屋内で避難せよと指定されたんですが、家の中でじっと耐えるのですが、1週間もして外へ買い物に行っても物がないんです。南相馬あたりは配送会社に持ってきてくれとたのむんですが、「危ないから行かない。郡山まで取りに来てくれ」といわれるんですね。逃げなかった人達はがっくり来るんですね。数ケ月すると、どんどん変るんですがいわきなどは、避難している人、いわきから避難していた人が帰ってくるのでアパート家賃などが値上がりします。救援の人や原発労働者もいわきを経由していく。避難している人が東電から仮払金をもらって酒を飲みに町に出るのを見て、「なんだあれは。町が荒れてる」という人も出てきます。

風のいたずらで原発から北西に流れて30キロを超えたところに飯館村があるんですが、典型的な日本の農村です。その先に福島市があります。計測しますと飯館村はかなり高いんです。福島も高いんです。最初の爆発時に周辺の人達が感じた重苦しさや孤立感を今、福島市の人も感じているという状況です。 

福島での新しい動き

私どももこの半年、「放射能とは何だ」とか「人体への影響」について勉強会をやるとたくさん人が集まるんです。でもそれだけでは「うん、じゃあこれからこうしよう」とはならないんですね。今は内部被爆の問題に焦点が当てられてきました。特に子どもを持つお母さん達の悩みの種になっています。簡単に疎開もできません。会津を除いたとしても約100万人がほかの県で面倒見られるでしょうか。ちゃんと仕事があって家族を養って共同の生活をすることまで保障できないです。正常な人間の生活がいかに大切かしみじみ感じました。夫は仕事で別の場所へ行くなど家族がバラバラになってしまうんですね。これがなんとも重たい気持ちの現状なんです。

全国の人たちと連携して

福島県九条の会で「福島は訴える」という本を出しました。30人の方に手記を書いていただきました。今福島の人達がどんな問題にぶつかって、何をしようとしているのか、その一部が分かってもらえるかと思います。沖縄の基地問題を全国の人が自分の問題として前向きに進めるかが課題ですが、福島もそれと同じ問題だと思います。

 なぜ日本は広島、長崎の経験があるのに54基もの原発を受け入れ、稼動させてきたのか。福島でも導入のころずいぶん議論があったんですが結局「絶対大丈夫だ」という安全神話に毒されたのだと思います。

今も「原発をやめない」という勢力は根強いですね。朝日に大江健三郎氏が「原発をやめることは核の抑止力をなくすことになると憂い顔で言う政治家がある」と、これは石破さんのことですね。原発から生まれるプルトニウムはすぐ原爆になるからその蓄積は抑止力だというのですね。平和利用だというけれども軍事的問題と裏腹なんです。

原発の受け入れはそれを受け入れる地方の自治体があるからです。福島では双葉町と大熊町が積極的でした。1991年に双葉町はもう一基原発をよこせといったんです。当時でも新たな原発を作るのは困難でしたから敷地の中に何基も作るんです過疎地に原発が密集しています。       

福島では個々人の生活が壊され地域共同体が壊れ、という上に、原発に対する県の今後の方向が課題です。全国的な連携のたたかいだと思います。

 ごく最近問題になっているのは、県民の健康問題で、内部被爆の数十年にわたる調査が必要です。もうひとつは汚染の除去です。学校の校庭の表土を剥ぎ取る作業がすすんでいますがその処理ができないですね。次に通学路、畑、その先は森です。膨大な汚染物をどうするのか、山を削っても治水問題が出ます。    

これらの生活や地域の立て直しを進めながら、東電や国の責任を追及していく課題があります。それを全国の人と連携して進めていくという方向がようやく見えてきたというところです。


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