九条の会学習会「日本軍慰安婦と九条」


 11月9日中央図書館で、西部九条の会の塚田勲さんをお招きして学習会が開催され、50名の参加者で、「慰安婦」についてお話を伺いました。講演の要旨を掲載します。 
 
朝日誤報で再び注目 
 「慰安婦」問題が話題になってきたのは朝日の誤報問題からバッシングが起こったのがきっかけです。「慰安婦は軍のための性的奴隷であった」と最初に書きましたが、「性的奴隷」という言葉は国際社会では当たり前の言葉になっていますが、日本ではまだほとんど使われていません。安倍首相は、どうやって連れてきたか、暴力的に捕まえたかどうかが焦点だと言ってます。読売の社説では「強制連行の有無が慰安婦問題の本質である」と言っています。安倍さんもそうです。
 最近話題になっている「吉田証言」ですが、最初は朝日だけではなく日本中のマスコミが報道したんです。「慰安婦は商行為だ。強制連行がなければ慰安婦問題はない」というわけです。強制連行があったことは、たくさんの証拠があります。
 安倍首相は最近国会で「日本が国ぐるみで性奴隷にしたと、いわれなき中傷」をうけていると言ってますが、オバマ大統領も「戦争中であっても言語道断な人権問題だ」と言っています。これが世界の常識です。
 自民党の高市さなえ政調会長が河野談話をつぶして新しい談話を出すよう官房長官に申し入れています。自民党の内部では「つぶすべき本丸は河野談話」だと騒ぎました。河野談話全文を資料にしました。読んでください。たしか十六人の元慰安婦の人から証言をきいてます。「軍の要請により」と書いています。また「軍が関与した」と書いています。これはやさしい表現で、軍が直接大規模に進めたのが実態です。
 慰安婦は朝鮮人が多いのですが、中国人、フィリピン、インドネシア人などもいたわけです。河野談話は、歴史教育を通じて永く記憶にとどめなければならないと言っています。
慰安婦問題とは
 慰安婦問題は日本の侵略戦争とともに始まって終結とともに消えていきました。中国に対する侵略戦争、これが諸悪の根源なんです。そのことをもう一度よく見てほしい。
 この戦争はあしかけ十五年も続きましたが、私はこの間に日本は五つの戦争犯罪を犯したと思っています。一つは南京大虐殺、そして三光作戦です。日本軍の「奪いつくし、殺しつくし、焼きつくす」作戦を中国側が呼んだ名称です。二つ目が日本軍慰安婦、三つ目は七三一部隊と細菌戦、四つ目は朝鮮人中国人の強制連行、奴隷労働、五つめは重慶爆撃です。中国の首都に対して五年半に二百回も無差別爆撃したんです。慰安婦問題は、こういう中の一つです。中国への侵略戦争というのは、ほかのすべての戦争と違う、日本の過去にやってきた戦争とも違う恐るべき戦争だったと思います。
 この戦争が始まってすぐ慰安所が作られ始めました。最初が上海事変です。上海事変というのは中国側が最も激しく抵抗した、日中戦争で最も激しい戦争になったのが二つの上海事変です。満州事変で圧倒的に勝ったから上海も簡単だと思って攻めたら、上海の市民、中国国民あげて中国軍を応援したので第一次上海事変は予想に反して大変な戦争になりました。第二次上海事変では日本軍が万単位で死にました。このような大戦争の中で慰安所をつくるんです。その資料もたくさん残ってます。
広がる「慰安所」
 戦争が中国各地に広がるたびにどこでも慰安所がつくられ、慰安婦が連れていかれました。東南アジアにも戦争を拡大していきましたが、その際、日本軍が行く前から慰安所設置の事前調査までやったこともありました。沖縄戦でも慰安所ができ、そのあと、本土決戦のために千葉、高知、鹿児島に迎え撃つと言っていたときにもう慰安所が続々作られたんです。狭い沖縄に慰安所がいくつあったと思いますか。145ヶ所あったことが分かっています。宮古島にも16ありました。日本軍が行ったところにはどこにでもあったんです。激戦のガダルカナルまで、慰安婦も乗せた日本軍の船が米軍に沈められ、生き残った慰安婦が日本に戻って証言したので分かったんです。
 軍が直営のものと、民間に作らせたものがありますが、民間のものも軍が管理していました。
 強制連行の問題ですが、朝鮮、台湾は日本の植民地でした。手先になった朝鮮人を使って、軍需工場とか野戦病院とかで働かないか、とかで誘う、貧しい親に金を渡して、汽車、船やトラックに乗せて連れて行ってしまうんです。植民地では暴力的というよりあの手この手で連れ出したんです。中国の占領地では地域のボスを捕まえて何日までに何人連れてこいと、いうことでやる。ふつうは後方地域に慰安所をつくるわけですが、前戦では村で女性を捕まえて、その辺の民家で監禁、強姦の場所を勝手に作ってしまうんです。フィリピンなどもそういう例が多いです。
 資料は東京高等裁判所の判決を引用しました。中国山西省の四人の女性が訴えたんですが、中国人女性を拉致監禁し連日、強姦したことを認めています。日本の判決ではそういう事実を認定しています。
設置のねらいと実際
 性奴隷ということですが、慰安婦には居住、外出、廃業、拒否ができないと定められていました。慰安所の生活はあらゆる自由がない奴隷状態だということです。
 慰安所設置のねらいと実際ということですが、日本軍兵士はずっと交代なしで戦いました。娯楽もない、だから慰安所だということです。米英は数ヶ月で交代していた。それから性病が蔓延しないようにと言っていますが、実際は性病は減らずに若干増えています。それから「強姦防止」だと言っていますが、これは中国派遣軍のトップが、戦争が始まってすぐ命令を出しています。日本軍があちこちで強姦ばかりするから、ものすごく反日意識が高まってしょうがないので慰安所を早く作れと。ところが強姦防止にはならなかったんです。さらにスパイ防止を目的に入れたのは日本兵にしかこの慰安所を使用させないようにし、兵士が街に出てしゃべらせないようにしたからです。
 こんなことが可能だったのはなぜか。日本政府も国民も、日本はアジアの一等国で、最も優秀な民族である。逆にアジアの人たちは一段と低い、という蔑視思想がとっぷり入っていて、アジアの人たちをこういう目に合わせることを全く疑問に思わなかったのです。そして、中国との戦争をやってみたら中国人が激しく戦った。これに日本が勝つためには長く駐屯して力で押さえつける。それを維持していくために、朝鮮人や中国人を慰安所に、となったんです。
 日本はさらに東南アジアに戦線を拡大し、占領地を拡げていきますが占領地の住民も武力を使って慰安所に入れていきました。
立ち上がる元「慰安婦」
 日本軍が全滅した時、ほとんどの慰安婦は一緒に死んでしまいました。また敗戦とともに中国大陸や東南アジアの慰安婦は見捨てられました。日本人の慰安婦は一緒に引き揚げたといわれていますが、帰った後も汚い女とみられ、韓国でも同じで、大変悲惨な状態で過ごしたんですね。
 慰安婦問題が大きな展開を見せるようになったのは、キムハクスンさんという方が1991年8月に記者会見で、その少し前に日本の政府が国会で「あれは民間業者が連れ歩いただけだ」と答弁したことが韓国に伝わったときに、キムさんが勇気を出して発言したんです。そのあと、韓国、北朝鮮、フィリピン、インドネシア、中国、台湾、在日朝鮮人、東チモール、これだけのところに住んでいた元慰安婦たちが次々と名乗り出るという形になっていきました。
 これに対する日本政府の対応がダメだったものですから始まったのが水曜デモ、いまでも毎週水曜、ソウルの日本大使館前で集会、デモが行われています。
 キムさんの証言以来、学者、市民の手で慰安婦研究が急速に進みました。慰安婦問題が世界中に広がって、日本政府も動かざるを得なくなって「河野談話」になったんですね。
 もう一度見ていただくと、日本政府の道義的責任があることを読み取ることができますが法的責任を認めていません。この事実をちゃんと認めて、国家として謝罪するとは書いていません。国と軍が直接握っていたことは書いていません。関与とは書いています。キムさんの発言の衝撃は世界史の大きなうねりの中で起こったんです。
 1986年、独裁者マルコスが打倒されてフィリピンが民主化されました。翌年韓国と台湾で市民・労働者一斉に立ち上がり、民主化が一気に進みました。東アジアが大きく変わったときです。天安門事件のように押さえられたものもありますが。このころ、慰安婦問題だけでなく、東アジアの人たちがいっせいに日本の戦争責任を問う裁判が80とか90とかいう数で起こされました。それが90年代から2000年代にかけてです。その中の慰安婦の問題は世界の女性解放運動の中で画期的な意味を持ったと思います。
 1990年代のころアフリカの性暴力、バルカン半島の内戦の時の性暴力をどうやって解決していくのかという時に、日本の慰安婦の問題の解決がなければ、すべてが解決できないと、国連でも世界の良識ある人々が動き出し、慰安婦問題は世界の解放運動にきちっと位置づけられた、それを作り上げていったのがキムハクスンさんたち、元慰安婦たちの運動だったことを言いたいわけです。 (終)